細屋勘左衛門
1796年〜
回文の奇才!上から読んでも下から読んでも同じになる「回文」の名手で、麹屋の主人でした。お酒と回文が大好きで、回文を描いたうちわが大評判だったとのこと。その文化は今も「回文うちわ」として、荒町に受け継がれています。
History of Aramachi
伊達政宗公が、米沢から岩出山を経て、仙台にまちをつくることになりました。そのとき、政宗公が「ぜひ一緒に来てほしい」と連れてきた六つの町がありました。これを「御譜代町」と呼びます。荒町は、その六つのうちのひとつなんです。最初は今とは別の場所にありましたが、1628年(寛永5年)に若林城を築城したことにより、今の場所に移ってきました。そこから数えて、約400年。荒町は、仙台のまちと一緒に、ずっと歩んできました。
日東写真館庄司博氏提供(荒町市民センター所蔵)
日東写真館庄司博氏提供(荒町市民センター所蔵)
政宗公は、荒町にとっておきの特権をくださいました。それが麹の専売権。「仙台で麹を商えるのは、荒町だけですよ」というお墨付きです。これは、ものすごいことだったんです。だって、味噌も、お醤油も、お酒も、麹がなくちゃ始まりませんよね。仙台の食卓のいちばん大事な部分を、荒町が任されたわけです。当時は60軒ほど麹屋さんが荒町にあったそうです。今でも荒町には、当時から続く麹屋さんが暖簾を掲げています。お店の前を歩けば、ふっと味噌の香りが漂ってくる。400年の時間が、そのまま今もここにあります。
荒町は、商いの町であると同時に、歴史を感じる場所も多くあります。 通りの周りには、6つのお寺があります。 佛眼寺、昌傳庵、泰心院、西光院、常念寺、満福寺(毘沙門天) -お寺さんも長い歴史をお持ちで、荒町の人たちの暮らしをずっと見守ってきてくれました。 なかでも毘沙門天さまは、荒町の人にとって特別な存在。 毎年8月には毘沙門天王祭、お正月明けにはどんと祭お祭りのたびに町じゅうが集まって、400年変わらない祈りを今も続けています。
長い歴史のなかで、荒町からはユニークな人たちがたくさん生まれました。 ここではそのうちの4人をご紹介します。
1796年〜
回文の奇才!上から読んでも下から読んでも同じになる「回文」の名手で、麹屋の主人でした。お酒と回文が大好きで、回文を描いたうちわが大評判だったとのこと。その文化は今も「回文うちわ」として、荒町に受け継がれています。
1870年〜1926年
海軍中将。明治・大正の時代、荒町に生まれて、近代日本の海を駆けた人です。
1899年〜1973年
童謡詩人。たくさんの子どもたちに、すてきな歌を残してくれました。
1909年〜1976年
作曲家。荒町小学校の校歌を作ってくれた方です。今も子どもたちが歌い継いでいますよ。
商いの町でありながら、文化と芸術の一面も!
それが荒町なんです。
400年―。長いようで、町の歴史としてはひとつながりの時間です。政宗公と一緒に歩んできた最初の1日から、今日この通りを誰かが歩いているこの瞬間まで。荒町の歴史は、どこかで終わった昔話ではなくて、今この町で生きている人たちが、毎日少しずつ書き継いでいる物語なんです。このページを読んでくださったあとは、ぜひ一度、通りを歩いてみてくださいね。お店の佇まい、お寺の門、ふと聞こえる町の音―。そのひとつひとつに、400年の時間がそっと重なっています。